M&Aで一番気が重い問題が、従業員さんにM&Aのことを説明しなければならないことです。なんだかこれまで自分についてきてくれた従業員を裏切るような気がして、大変心を痛める売り手経営者さんが少なくありません。リーダーという立場からすれば当然のお悩みでしょう。

ただし、そのプレッシャーに負けてか、M&Aプロセスの初期段階で従業員さんたちにM&Aのことを相談してしまう方がいますが、それには同意できません。

従業員さんたちの身になって考えれば、まだ何もかも未定の段階で突然M&Aをカミングアウトされても困ります。「これから我々はどうなるんですか?」という当然の質問に対して、「それはこれから決めていきます」という回答はあまりに無責任で、これほど不安をあおる言葉はありません。

では、いつ、どのような形で話をしていくべきでしょうか。今回は、従業員さんたちへの説明のタイミングと方法についてご説明します。

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従業員説明に失敗すると、M&Aは大失敗に終わる

M&Aでもっとも難しい課題は、ヒトの心の問題です。

M&Aを発表すると、社内には激震が走ります。経営者が想像している何倍も従業員さんたちは動揺し、将来に対して強い不安を感じます。ここでのヒトの心のケアを疎かにしてしまうと、不安から逃れるために転職先を探したり、無計画に退職してしまったりします。

これは想像を膨らませて言っているのはありません。私が現実に目の当たりにしてきた事実をそのままお伝えしています。「将来が不安で仕方ないんです」と泣きながら退職していった方も知っています。M&Aでは、従業員さんをきちんとケアしない限り、コアメンバーから連鎖するように辞めていきます。

このような事態になってしまうと、買い手としても利益維持どころではなくなります。大幅な計画修正が迫られますので、売り手が望む事業運営なんてする余裕はありません。

結果として、「財産」と「後継者」というM&Aの成功軸のうち、「後継者」に関する希望は瓦解します。M&Aが成立したとしても、それは売り手にも買い手にも対象会社にも不幸な結果をもたらしただけの、M&Aの大失敗と言えます。

従業員への説明のタイミングと方法

では、どのように従業員さんに説明していったらよいのでしょうか。具体例は次章で紹介しますので、まずは基本的な考え方を確認しておきましょう。

従業員への説明で肝に銘じるべき3条項

まず、従業員さんへの説明を考えるときは、以下の3つの条項を肝に銘じましょう。これを意識しておくだけで、失敗のリスクは大幅に下がります。

  1. 従業員は自分よりもつらいと考えよう
  2. 将来が不透明なほど不安を覚える
  3. 不満を感じさせない丁寧さが重要

以下ではそれぞれ内容を説明しましょう。

1.従業員は自分よりつらいと考えよう

自分が勤めている会社が他社に売られるというのは、非常にショックなことと感じる方が大半です。実際には、経営者のほうがずっとつらい思いをしているのだと思いますが、経営者は自分でM&Aを判断できる一方で、従業員さんは常に受け身の立場です。

自分のほうがつらいのだからと考えていると、従業員さんたちの心を軽視するような態度が出てしまいます。絶対にそう捉えられることのないよう、相手への気遣いは少し過大なぐらいがちょうどいいのです。

2.将来が不透明なほど不安を覚える

M&Aに巻き込まれると、誰しもが「自分はこれからどうなるんだろう」という疑問を抱きます。このときに一番不安に感じさせるのが、先が見通せないという心細さです。将来が不透明であれば不透明であるほど、不安は耐えられないほど大きくなってしまいます。

「私たちこれからどうなるんですか?」という質問に対して、もっとも残酷な回答は「それはまだ未定」です。可能な限り将来の方向性が決まった段階で本人たちに伝えるのが、従業員さんたちを労わる最大の努力でしょう。

3.不満を感じさせない丁寧さが重要

上述のとおり、M&Aでは不用意に従業員たちに情報を漏らしてはいけません。情報を伝えないことが従業員に対する配慮なのですが、何も知らない従業員たちの中には「蚊帳の外に置かれた」と感じる人が必ず出ます。社内にシラケたムードが蔓延してしまったら、M&Aはなかなかうまくいきません。

そのため、情報を得ていない従業員さんに不満を感じさせない丁寧さが求められます。役員クラスの管理職から先に開示する、伝えるグループの番が来たら全員一斉に説明するなど、不満を抱かせない工夫を凝らしましょう。

従業員説明の最適なタイミング

従業員への説明は、原則としてはM&A最終契約の締結直後になります。ただし、杓子定規にそのまま実施してしまうと、なかなかうまくいきません。

役員クラスには基本合意~デューデリジェンスまでに伝える

役員やデューデリジェンスのインタビュー対象になるようなエース級の社員に対しては、デューデリジェンスまでには伝えておきましょう。本人がM&Aのことを知らない状態でデューデリジェンスのインタビュー対象にすることもありますが、なかなか踏み込んだ議論ができません。

売り手さんの中には、彼らにも買い手選びに参加してほしいと考える方もいます。お気持ちはわかりますが、それはちょっと控えましょう。本人たちとしても新しいボスを選ぶなんてなかなかできません。それが今のボスの財産に直結する決断なら猶更です。買い手選びは経営者の最後の大仕事として、すべての誹りを自分が背負うという覚悟で選ぶべきです。

部長クラスには全体公表の2~3日前に伝える

部長クラスには、固く口留めをした上で、全体に先んじて情報を伝えておきましょう。そうしないと「俺たちは末端社員と同じ扱い?」という不満が生じます。

また、彼らは現場社員が疑問・質問を真っ先にぶつける相手です。そのため、「俺もよくわからないんだよね」という回答は極力しないように情報を提供し、社内全体に少しでも安心感が広がるよう尽力してもらいましょう。

ただし、人数が多いほど秘密を維持するのは難しくなります。部長クラスへの通知は全体公表の2~3日前がベストでしょう。

全体公表は一気に行う

全体公表が行われたら、もう秘密を維持することはできません。可能な限り一斉に全員に通知しましょう。正式に話を聞いていない人が、他人づてに情報を受け取ることのないようにしましょう。

買い手が上場会社の場合、立派なインサイダー情報ですので、可能な限り上場会社のIR(投資家へのプレスリリース)の時刻と時間を合わせたいところです。株式市場は午後3時に締まりますので、夕方がよいでしょう。どうしても従業員公表のほうが先になる場合、インサイダー情報であることをしっかり伝え、間違っても逮捕者が出るような可能性がないようにしましょう。

従業員説明までに決めておくこと

全体開示を行うと、従業員さんの不安が一気に高まり、いろいろな質問や相談が上がってきます。可能な限り回答をしていくことが安心を生み出す最大のポイントですので、想定される質問に対する回答は用意しておきたいことです。

具体的には、以下のような質問が定番です。どのような回答をすべきかを部長クラスの管理職に共有し、組織として一貫した回答ができるようにしておきましょう。

  • 買い手はどんな会社か
  • 買い手は自社の何が欲しくて買ったのか
  • 今後の雇用維持の方針、人員削減の可能性
  • 本部機能が今後どうなるのか
  • 今後の給与の方針
  • 社会保険や福利厚生(特に家賃補助や手当)の継続有無
  • 合併するのか、子会社としてやっていくのか
  • 転籍や転勤があり得るかどうかの方針
  • 現社長の今後の立場と退任する場合の新社長
  • M&Aによって現場の作業レベルで変化すること
  • 取引先との関係の維持、親会社との共通化

なお、このうち特に重要なポイントは、全体公表の機会に買い手のしかるべき役職の方の挨拶で語ってもらうのがいいでしょう。「M&A」や「買収」という言葉が強すぎると感じる場合は、「資本提携」「グループ入り」などと言い換えることもあります。

従業員説明の具体例/A社のケース

従業員にうまく説明した具体例として、実在の会社をモデルとしたA社(少し改変しています)の事例を見てみましょう。従業員は40人程度の会社でした。

1.買い手選定は売り手経営者が独断で決めた

A社オーナーである社長は、買い手企業を決定するまで家族以外には一切相談していませんでした。社内では役員である奥さんが唯一M&Aのことを知っているだけで、他の役員もまったく知らされていませんでした。

次のリーダーを決める買い手選びには意見を求めるべきかとも思いましたが、収集が付かなくなる事態も想定されたため、後でどんなに文句を言われようとも自分がその誹りを受けるという覚悟で、最良と思われる後継者を選んだつもりです。

2.基本合意後、役員を集めて丁寧に説明

買い手を一本化すると、基本合意書を作成して押印します。買い手の押印ももらった段階で基本合意が成立したため、翌日経営会議と称して役員を集めます。

固く口留めをした上で、「実は、自分も体調が悪く引退を考えていたところ、B社からの買収提案をいただいている」と切り出しました。

それから、M&Aという選択に至った理由、自分がどのような買い手に託したいと思っているか、B社がどういった会社であるかの説明、数ある買い手企業からB社を選び出した理由を丁寧に語りました。特に、雇用維持を絶対条件にしていることと、B社がそれに同意してくれていることは強調しました。話をする前は勘付いている役員もいるかと思っていましたが、全員晴天の霹靂だったようです。

議事は今後どのようなスケジュールでの交渉を予定しているのかと、デューデリジェンスをはじめとした交渉の依頼、質疑応答、そして最後に固く口留めをした上で、解散となりました。

最初にM&Aの理由を丁寧に説明したこともあり、理解を示してくれたようです。もちろん、この時点では不安だらけではありますが、ともかく第一歩を踏み出しことになります。

3.交渉と並行して、従業員への説明を準備していく

デューデリジェンスを挟んで、B社とM&Aの交渉を進めていきます。価格や契約書記載事項の交渉を進めると同時に、M&A後の雇用や経営の方針に変更がないかを確認していきました。

価格や条件で合意し、M&Aの成立がほぼ確実になってきた段階で、買い手と従業員説明の段取りを打ち合わせます。B社は上場会社だったため、取締役会やプレスリリースともタイミングを合わせなければなりません。時間や説明会への出席者、そこでしゃべる内容まで入念に打ち合わせました。

4.全体公表の前に、まずは部長級に通知

全体公表をする2日前に、現場リーダーである部長や課長を集め、厳重に口留めした上でM&Aのことを通知しました。

A社の場合は部長以上の全体会議が時々あったので問題なかったのですが、ほとんどない場合は一堂に会すると目立つので、会議を複数に分けることがあります。

最初に社長がM&Aに至った理由を話し、次に今後何が変わるのかを、主に現場目線で説明していきました。A社の場合は、基本的には変化がないものの、B社が営業ルートの連携を検討するプロジェクトを立ち上げる計画であることと、固定残業時間が45時間から30時間に短縮される(手取りは減らないので実質給与増となる)ことを伝えました。

それから、2日後に全体に公表し、部下からの質問が予想されるため、可能な限り「未定」や「わからない」は言わないようにと前置きしたうえで、質疑応答を行いました。部下からの質問を想定すると、皆さん一生懸命質問を探してぶつけてきます。中には想定外の質問もあり、全体公表までに確認すると伝えたものもありましたが、概ね「未定」という言葉は使わずに乗り越えられました。

5.全体公表し丁寧な対応へ

最終契約の調印式も終わり、B社のプレスリリースに合わせていよいよ全体公表となりました。

B社がプレスリリースする当日の午後4時、全員を集めて公表会を開きます。B社の取締役経営企画室長にもお越しいただき、まず現社長からの説明、B社経営企画室長の挨拶、新社長の挨拶の順番で説明していきました。

そのあと、各部署ごとに集まって、部長からM&Aが自分の部署に与える影響について説明してもらいました。全体では質問しづらいですが、少人数会議で部長に質問するのは気持ちが楽ですので、比較的気安く質疑応答できた部署が多かったようです。

最後に、再度部長を集めて答えられない質問がなかったかなどをフォローアップし、B社経営企画室長、新社長と共有しました。丁寧に対応すること自体も大切ですが、丁寧に対応しているという姿勢を見せることもまた大切です。

6.その後も現場をしっかりウォッチ

従業員への説明は上記でおしまいですが、重要なことは説明そのものではなく、不安と不満を最小限にとどめることです。不安を感じさせない人でも内心不安を抱いていることもありますし、時間が経つごとにそれが大きくなるものです。

公表して安心するのではなく、その後もしっかりと現場をウォッチし、皆さんのケアを心がけましょう。A社ではその後1カ月の間に部署ごとに会社経費で飲み会を開催し、新旧の社長はすべて必ず出席しました。このような泥臭い活動も、組織という生き物を円滑に引き継いでもらうには必要なことです。

おわりに

今回は、M&Aのことを従業員に説明するタイミングやその内容について、基本的な考え方と具体例をご紹介しました。

M&Aは従業員さんにとっても人生の大きなイベントですので、無用な不安をあおって退職を招くような事態を避けるため、できることは可能な限り行いましょう。